友達が高価なゲーム機などを買ってもらう中、僕のクリスマスプレゼントは毎年、図書券ばかり。ずいぶんと安上がりな子供でした、ブッチーです。
今回は為替の歴史を語るうえでは欠かせない、プラザ合意、ルーブル合意、クリスマス合意の話をひとつ。
プラザ合意
あちらを立てればこちらが立たず。
なかなかすべての国にとって居心地のいい水準になってくれないのが為替レート。
1980年代前半、レーガン政権下のアメリカはドル高になりすぎて、自動車産業などの国際競争力が低下してしまいました。輸出不振で貿易赤字も大規模に!
一方、他の国の中にはドル高のせいで自国通貨が安くなりすぎ、輸入物価の上昇からインフレが進みすぎる国も出てきました。
「この状態をなんとかしなくちゃ!」というわけで、G5(米・日・英・西独・仏)がドル高是正に向けて合意したのが1985年9月のプラザ合意です。
その効果は絶大で、プラザ合意の時点で1ドル=約240円だったドルはグングン安くなり、わずか1年半後の1987年春にはなんと1ドル=150円の円高・ドル安に。
ルーブル合意
ドル高を是正するためのプラザ合意ではありましたが、これではいくらなんでも短期間でドル安になりすぎです。
G5のメンバーにイタリアとカナダを加えたG7が「そろそろこの急なドル安に歯止めをかけましょう!」としたのが1987年2月のルーブル合意です。
ところがこのルーブル合意を持ってしても、ドル安トレンドは止まりません!
悪いことは重なるもので、1987年10月にはニューヨーク株式市場で歴史的な株価下落「ブラックマンデー」が起きてしまい、ドルはさらに一段安!
1987年末にはついに1ドル=約120円まで円高・ドル安が進行、プラザ合意からたった2年ちょっとの間にドルの価値は文字どおり半減してしまいました。
あまりにも急激すぎる円高に見舞われた日本は、輸出産業に深刻な大打撃!
クリスマス合意
ルーブル合意でも止まらなかったドル安をなんとかするべく、G7は1987年12月22日に「これ以上のドル下落は好ましくありません!」と緊急声明。
クリスマス合意、もしくはクリスマス声明とも呼ばれるこれで、猛威を振るったドル安トレンドはなんとか一服。
止まらない円高・ドル安に苦しみまくっていた日本にとっても、実にありがたいクリスマスプレゼントとなりました。
これが童話やおとぎ話ならめでたしめでたし・・・と終わるところですが、世知辛く、待ったなしで進行するのが現実世界。プラザ合意以降の急激な円高をうけて、日本経済は以下のような道をたどります。
円高不況回避するため、低金利を継続
↓
行き場を失ったお金が株式市場や不動産市場に流れ込み、バブル発生(昭和末期)
↓
膨らみすぎたバブルが崩壊、その後遺症で「失われた30年」とも呼ばれる時代に(平成)
その平成もまもなく終わりを告げますが、5月に改元を迎える来年2019年は果たしてどんな一年になるのでしょうか?
今年2018年は災害などの暗い話題が続いたぶん、ぜひ明るい一年にしたいですね!